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神埼隕石(Kanzaki Meteorite) 「神埼」は現在の表記で古い文献上では「神崎」と記述されています

神埼隕石は現在、行方不明の隕石です。
日本に落下した隕石リスト上に存在したことになっています。
記録として現れるのが1905年版「地学雑誌」で、神保子虎氏の「本邦天隕石の研究」に『帝室博物館に在る肥前神崎郡の隕石』とあります。帝室博物館とは国立科学博物館の前身です。
隕石リストに1905年以前発見と載っているのはこの論文が発表された以前から存在していたことに由来するのかもしれません。

1911年版「理学界」で、脇水鉄五郎氏による『美濃隕石 附日本隕石略説』内で
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名称: 神崎隕石
種類: 白色球粒隕石
重量: 三三匁(換算すると124g)
大きさ: 空欄
比重: 空欄
落下地: 肥前神崎郡(村名不明)
落下時又は発見時: 落下時不明
所蔵者または所在地: 地質調査所より東京帝室博物館に出品

神崎号
「小不正形隕石の一方きりとられたるものにして、褐黒色の外皮の上に数小窪あり、石質外観共に薩摩隕石に酷似す。惜らくは落下の年月明かならず且つ肥前神崎郡とのみありて地名を詳かにせず」
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と、あります。

地質調査所が創立されたのが1882年で、福富隕石の落下年も同じ年です。福富隕石は当時の農商務省博物局(その後の帝室博物館、現在の国立科学博物館)に所蔵されたのですが、どうして神埼隕石が初めに地質調査所にあったのかが不思議です。また、切り取られたものとありますから最初はもっと大きかった事がわかります。



地質ニュース 1996年1月号 「地質調査所所蔵の隕石」 松江 千佐代先生の論文から、
地質調査所百年史編集委員会編で1882年に地質調査所が設立される以前に、1874年設置の内務省地理寮によって地質標本の収集が行われていた事がわかりましたが、隕石標本の収集方法はよくわかりません。
1916年に地質調査所陳列館の陳列品目録として3個の隕石が掲載されて
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品名   Meteorite  産地
隕石     〃   肥前国神埼郡
 同     〃   薩摩国薩摩郡大島
 同     〃   但馬国
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1953年に村山先生が地質調査所の標本を調査された時には、神埼隕石は行方不明のようでした。
松江先生の推論では、関東大震災と戦災のどちらかで消失してしまったか、標本そのものは残っていたが隕石標本と標本ラベルがバラバラになり整理段階で神埼隕石とは分からずに捨てられたかもしれないとの事です。
神埼隕石の項の結びで「当時の事実は全く分からず現在までに地質標本館において神埼隕石は登録されていないし、その所在の確認されていないのが事実としてある。」と書いておられます。

※「美濃隕石 附日本隕石略説」の資料はこちら⇒PDF2.4MBPDF1.7MB

その後の神埼隕石
1916年以降の記録がまだ見つかりません、詳しい化学分析などが行われた記録もまだ見つかりません。
現在の神埼市神埼町内でも忘れられた存在で、ほとんどの住人も落下の事実を知りません。そのため現地聞き取り調査をする手がかりさえ見つからない状態です。
隕石の産地として「神崎郡」と標記されている事から、1889年(明治22年)に町村施行に伴い「神埼郡」と呼ばれるようになったと考えれば当時の神埼村、西郷村・・・三瀬村等11村があり、産地を特定するにも現在の地名では神埼市、佐賀市、吉野ヶ里町にまたがる地域になります。

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